トラウマと世代間連鎖
私は家で息子をみながら水回りの掃除。
夫は溜まった資源ゴミを束ねて近所のスーパーの回収所へ。
私は朝からずっと溜まったいろいろな掃除をしていてなかなか休めず、
でも夫が出かける頃にちょっと一息できそうなタイミングがあった。
なのに私はまた休めなかった。
夫が出かける前疲れたのかちょっと不機嫌そうな顔をしていて、
そして「夫が資源ゴミを出しに行ってくれているのに、自分だけ休んでる」と思われるのが嫌だった。
フラッシュバックだと気づいたけれど、その後結局昼寝の寝かしつけのところで爆発した。
昔みたいな大爆発ではないけれど、身体の中から上がってくる猛烈な本能のエネルギー、闘争-逃走反応のエネルギーに、
とても寝かしつけどころではなくなった。
そして私の身体のざわつきを、息子は確実に探知する。
こうなったらお手上げだ。
一度離れて、暴れているトラウマ記憶と向き合って、一旦落ち着かせるか、解放するかするしかない。
私がトラウマ解放を始めるまで、息子は本当に眠れない子だった。
考えてみれば、私の身体はずっと騒ついていた。
どんなに認知的コントロールをかけても、赤ちゃんには通用しない。
赤ちゃんは神経系を使って、親とコミュニケーションをとっているから。
神経系の調整不全を起こした、感情麻痺の親なんて、赤ちゃんにとってはまさに脅威だ。
可哀想な息子。私のことが好きで、近くに来たそうにするけれど、でも私の身体の緊張を感じ取ってぱっと離れて行くことを繰り返してた。(テレビを見ている時だけお互い緊張がほぐれるのか、気がまぎれるのか、ずっと抱っこできた。他の時は私の心臓がどきどきしてしまって、降りてしまうことが多かった。)
まさに私と母の関係と同じ。
私も母が好きで、いつも側にいたかったけれど、側に行けなくて我慢していた。
私が近づいた時の母の強張った表情や仕草を感じ取っていたからだ。
トラウマ解放を始めて半年、最近は私の身体は落ち着いていることのほうが多くなった。
息子は気が向くとずっと側にいるようになった。
私の側でごろごろして、リラックスして戯れてくる。
私も嬉しくて息子の頭をくるくる撫でる。
まるで違う日常、、
親のトラウマが重いと、親は子供にとって愛情と保護を与えてくれる存在であるとと同時に、脅威を与える存在にもなってしまう。
そのため、子供は親だけでなく他者全般に対して、愛着反応と同時に防衛反応が引き出されるように適応する。
これが不安定型の愛着スタイルの根源、、
そして、私のように不安定型の愛着スタイルを持ったまま親になると、
今度は子供に対して愛着反応と防衛反応が同時に喚起されてしまう、、
この辛さは計り知れない、、
強い本能的な防衛反応(古い脳からの司令)は認知的なコントロール(大脳新皮質からの司令)を越えてしまう。
さらに防衛反応は、怒りという形の他に、逃走(感情から逃げ、感情の存在を否定する)という形をとることもある。
つまり感情麻痺になる。
怒りにハイジャックされた親も感情麻痺の親も、子供の気持ちがわからない。
そして子供を傷つけてしまう。
こうしてトラウマは世代間を連鎖する。
親が頑張って認知的にコントロールした場合、その分、子供のトラウマは親より軽くなるかもしれない。
でもそれは「限られた効果」だと言わざる終えないと思う。
親が自分の身体を張って、身体の中にトラウマのエネルギーを溜め込んだとしても、やはり本能の強い反応に抵抗できる程度は限られているし、もしうんと抵抗して頑張ったとしても、その結果親が早く亡くなってしまったら、それもまた子供のトラウマになるからだ。
世代間連鎖を根本的に、飛躍的に改善するには、親がトラウマ(戦争と戦後復興から引き継がれてきた社会的傷)を解放するしかない。
子供を傷つけたくない、という強い思いが、親をトラウマと向き合わせる。
これまでの自分の生き方やあり方と向き合い、間違いや信じられないような罪と向き合うことは辛いことだけれど、でも悪いことばかりじゃない。
本当に自由に、健やかに生きる道が、親にとっても拓かれる。
子供は親に教えてくれている。
「あなたのあり方、おかしいよ?」
「そういう言葉は僕は嬉しくないよ?」
「そういう出来事で、人は傷つくんだよ?」
自然なあり方を子供から学ぶ。
「育児は育自」と言うが、本当は
「育児は自らの成長過程で身に付けてきた適応パターンとトラウマの殻を破り、本来の自己に戻る作業」
なのかもしれない。
そして人間の成長とは、おそらくそういうものなのだろう。


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