2019-11-11(Mon)
本当は母を救いたかった?
今日は息子と公園をお散歩しました🚶♀️
息子はこれまで手を離すとどんどん1人で先に行ってしまって、全然止まらなくて😅(なぜなのか、、😅😱)
危ないのでいつも手を繋いで歩いていたんですが、今日はわりと平らな広い公園だったので、試しに手を離して歩いてみました。
結果、ちゃんとこちらの様子を見ながら、そんなに離れることなく、歩いてくれました!✨
嬉しい☺️💓
そして可愛い☺️✨
「こっち行こうよ♪」という提案も少しは聞いてくれてよかったです😊
ただ朝、家から出発する時に
「最初にブーブに乗って、それで公園に行こうね」
と言ったんですが、息子はマンションから出た後、車のほうに歩くのを全力で拒否して、そのまま近所を歩こうとして、大号泣でした😅
、、駐車場で号泣が朝の儀式となりつつあります😅😱
「公園」っていう単語はまだよくわからないのかな〜😅
こんな感じだと一時保育どうなるかなぁ、と思いつつ、、😅
まぁダメだったら、他の保育園も探そうと思います😅
とりあえず今週木曜日にこの間の保育園に親子で1日体験に行ってきます💪
こちらとしても私たちの考え方や息子の性格に合いそうかどうか、雰囲気をみてこようと思います😊
さて、公園を息子と歩いていて、息子がどんぐりや落ち葉を拾う姿を見て、ふと思ったんですが、
私が小さい頃、母も私とこんな風に歩いていたのかな、と。
母が毎日私を公園に連れて行っていたという話は聞いているんですが、うんと小さい頃の記憶は全然なくて。
母はどんな気持ちで歩いていたのかな?
お昼はどうしていたんだろう?
とふと疑問に思いました。
子供が苦手で、料理が苦手で、私が生まれる前はカッパえびせんで生きていた、というような母が、一体どうやって毎日を過ごしていたのか。
おそらく私以上に自分の親へ複雑な思いを持ったまま、そして少しも消化できないまま親になり、ずっと情緒不安定で、心の中身は幼い少女のようだった母が、親になって一体どうやって日々をやりくりしていたのか。
きっとすごく辛かっただろうなと。
私が今感じているような、息子との何気ない時間に心があたたまるような感覚を、母はたぶん味わえなかったんだろうな、と。
でもこれは私の想像に過ぎなくて、実は母は母なりに幼い私と過ごした時間をそれなりに楽しんでいたのかもしれないんですよね。
ただ、私の中には、1人の女性として「母が気の毒だ」という気持ちがずっとあるみたいです。
母は自分の生い立ちの傷を乗り越えられず、そこに元々持っていた遺伝的な弱さが加わって、病気を発症し、この10年ほどほとんど家から出ない生活を送っています。
でもそれを「気の毒だ」と思うのは私の勝手な判断で、実は今、母は自分の好きなように生活して結構幸せなのかもしれない。
それでも、、やはり気の毒だと感じてしまう。
何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが、最近、若い頃の母を1人の女性として思い浮かべることが増えていて、、
あるいは私が救いたいのは母なのかもしれません。
実際には私に母は救えないけれど、
それでも私の中には未だに「苦しんでいるお母さんを救いたい」という思いが強固にあるみたいです。
本当に不思議だなと思います。
どんなに傷つけられても、子供はどこかで親を助けようとする。
そんな話をどこかで読んだ気がするけれど、そういうことなのかもしれない。
自分のやりたいことが親に結びつくのは、正直癪だし、本当に大丈夫か?と思う面もあるけれど、でも今の素直な気持ちはたぶん、、
お母さんを救いたかったけど、私には救えなかった。
だから、お母さんみたいな人たちの力になりたい。
のようです。
ずっとずっと無念な気持ちがあったんだ、と急にわかりました。

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息子はこれまで手を離すとどんどん1人で先に行ってしまって、全然止まらなくて😅(なぜなのか、、😅😱)
危ないのでいつも手を繋いで歩いていたんですが、今日はわりと平らな広い公園だったので、試しに手を離して歩いてみました。
結果、ちゃんとこちらの様子を見ながら、そんなに離れることなく、歩いてくれました!✨
嬉しい☺️💓
そして可愛い☺️✨
「こっち行こうよ♪」という提案も少しは聞いてくれてよかったです😊
ただ朝、家から出発する時に
「最初にブーブに乗って、それで公園に行こうね」
と言ったんですが、息子はマンションから出た後、車のほうに歩くのを全力で拒否して、そのまま近所を歩こうとして、大号泣でした😅
、、駐車場で号泣が朝の儀式となりつつあります😅😱
「公園」っていう単語はまだよくわからないのかな〜😅
こんな感じだと一時保育どうなるかなぁ、と思いつつ、、😅
まぁダメだったら、他の保育園も探そうと思います😅
とりあえず今週木曜日にこの間の保育園に親子で1日体験に行ってきます💪
こちらとしても私たちの考え方や息子の性格に合いそうかどうか、雰囲気をみてこようと思います😊
さて、公園を息子と歩いていて、息子がどんぐりや落ち葉を拾う姿を見て、ふと思ったんですが、
私が小さい頃、母も私とこんな風に歩いていたのかな、と。
母が毎日私を公園に連れて行っていたという話は聞いているんですが、うんと小さい頃の記憶は全然なくて。
母はどんな気持ちで歩いていたのかな?
お昼はどうしていたんだろう?
とふと疑問に思いました。
子供が苦手で、料理が苦手で、私が生まれる前はカッパえびせんで生きていた、というような母が、一体どうやって毎日を過ごしていたのか。
おそらく私以上に自分の親へ複雑な思いを持ったまま、そして少しも消化できないまま親になり、ずっと情緒不安定で、心の中身は幼い少女のようだった母が、親になって一体どうやって日々をやりくりしていたのか。
きっとすごく辛かっただろうなと。
私が今感じているような、息子との何気ない時間に心があたたまるような感覚を、母はたぶん味わえなかったんだろうな、と。
でもこれは私の想像に過ぎなくて、実は母は母なりに幼い私と過ごした時間をそれなりに楽しんでいたのかもしれないんですよね。
ただ、私の中には、1人の女性として「母が気の毒だ」という気持ちがずっとあるみたいです。
母は自分の生い立ちの傷を乗り越えられず、そこに元々持っていた遺伝的な弱さが加わって、病気を発症し、この10年ほどほとんど家から出ない生活を送っています。
でもそれを「気の毒だ」と思うのは私の勝手な判断で、実は今、母は自分の好きなように生活して結構幸せなのかもしれない。
それでも、、やはり気の毒だと感じてしまう。
何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが、最近、若い頃の母を1人の女性として思い浮かべることが増えていて、、
あるいは私が救いたいのは母なのかもしれません。
実際には私に母は救えないけれど、
それでも私の中には未だに「苦しんでいるお母さんを救いたい」という思いが強固にあるみたいです。
本当に不思議だなと思います。
どんなに傷つけられても、子供はどこかで親を助けようとする。
そんな話をどこかで読んだ気がするけれど、そういうことなのかもしれない。
自分のやりたいことが親に結びつくのは、正直癪だし、本当に大丈夫か?と思う面もあるけれど、でも今の素直な気持ちはたぶん、、
お母さんを救いたかったけど、私には救えなかった。
だから、お母さんみたいな人たちの力になりたい。
のようです。
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